2016年09月22日

ら抜き

「ら抜き言葉は誤用である」 とか、いつから言われているのか記憶にないぐらい定番の "日本語の乱れ" ネタですが、そもそもにおいて、"食べられる" という言葉一つにおいても、

この魚は食べられる | 可能(〜できる)
魚は人に食べられる | 受動(〜される)

と、同一の言葉や同じような構文にもかかわらず、まったく異なる意味/意図になってしまうこと自体が、言語的には 「欠陥=不具合」 に感じませんか?

そういう視点で見れば、不具合をいつまでも放置するよりは、いっそ修正してしまおうと思う人が出てきてもおかしな話ではありません。むしろ正常なことでしょう。

あとは具体的に 「どう修正するのか?」 という話に繋がるので、修正方法として文字を 1.増やす/2.減らす/3.変える あたりから選択することになるわけですが...

※ここまで書けば以降の説明は不要(蛇足)かと思いますが一応続けますね。十分だと思われた方はおつかれさまでした。


この場合クドクドと説明するまでもなく 「よく使う側の文字を減らす」 のが効率的な選択です。

※文字を増やす/変える→パターン多すぎ=まとまらない、使わない方の文字を減らす=無駄

件のケース("食べられる")であれば、可能と受動、どちらが普段よく使うかといわれれば、(食事の回数的に考えれば) だいたいの方は可能の方でしょう。

文字を減らすパターンについては、
・食べ
・食べ
ぐらいしかありませんので、どちらを選ぶかと言われたら (発音的に同一母音が続き楽なこともあり) 「↓の方かな?」 と答える方が多いと予想されます。

あとは 「食べれる」 を起点として、他の 「〜られる」可能表現側が 「〜れる」へ変化(受動と分離してスッキリ) → ら抜き言葉として定着、というのも自然の流れでしょう。

そんなわけで自分的には 「ら抜き言葉」 特に 「食べれる」 という言葉遣いは誤用というよりも、言語としての正常進化(不具合修正によるバージョンアップ)として見た方がしっくりくるわけです。




...などというようなことを、随分と昔に考えたなぁ...と昨今の時事ネタを見て思い出したりしました。

プログラミングとかしてると、全体的な仕様動作(言語的には大域的な文法みたいなもの)だけではうまくいかない場合だらけで、その都度局所的な例外処理を入れたりとかパッチ修正したりとか、そんなのが当たり前なので...

「一体いつから言語が修正されないと錯覚していた」 (徹夜明け)

とかホントしょーもないことを(ry


以上、特に内容もない穴埋め記事でした。

posted by - at 03:15| その他 | 更新情報をチェックする